大正時代の大通公園
・官地と民地を区分する火防線であった大通も明治末期より公園として整備されてきた。
西3丁目〜9丁目まで植樹と芝生の造成がなされ、放射状の通路も設けられた、大正に入り
西3丁目と4丁目に花壇も設けられた。
大正12年には西10丁目〜12丁目の元練兵場も公園化された。
・大正7年の開道50周年記念博覧会が開催され中島公園をメイン会場として8月1日から
50日間開催された、大通公園は児童博覧会会場となった。
このとき博覧会記念の様子および中島公園、円山公園、北大植物園、ポプラ並木、北大校庭、
豊平館、大通公園などの札幌名所が絵葉書になり観光札幌がスタートを切った。
・大正12年7月、大通は「都市計画法」と「道路交通法」の適用を受け、
道路と公園の二重性格を明確にした。
▲ 大正2年、大通公園及び市街全景
← 大正13年ころ、
西2丁目より西を望む
大通公園
↓ 大正末期、大通公園
▼大正10年(北1条東3丁目)、住宅の建前風景
▼大正時代の一般家庭の茶の間