昭和時代の大通公園
開道50年を契機に町は拡大の一途をたどっていった、建物も大正時代後期より学校や消防本部、
丸井今井や三越等のデパート、ホテルなどが鉄筋コンクリート造りにどんどん建てかえられていった
大通公園は、大正時代に公園としての設計が構築され整備されていき、昭和14年7月8日には東
7丁目まで広げて大通風致地区に指定された。

しかし第二次世界大戦を契機に公園整備は中止され大通公園は畑とゴミ捨場になってしまった。
戦後には進駐軍により大通西3丁目に教会とスポーツ施設が建設された。
その後進駐軍が撤退するとすぐ教会が取り壊され、昭和25年の雪祭りと花壇再現を手始めに
大通は再び公園に生まれ変わった。

かくして30年は過ぎ、市民の理解と協力により大通は戦前以上に整備され、昭和55年6月に
「都市公園法」の適用を受けた。
▲三越屋上から北方向を望む
  (昭和初期)
望楼から西方向を望む→
(昭和初期)
←望楼
  昭和2年竣工、高さ43m
  大通西1丁目
  昭和40年解体
札幌市役所→
昭和12年に竣工
←昭和19年の大通公園
 
 戦時中、食料難のため大通公園は畑として利用された
 後方の台座にあった黒田清隆の銅像は金属回収にため
 撤去された。
←敗戦直後の札幌駅
←昭和27年に新築された
 札幌駅
←昭和25年、第1回雪まつり

  第1回雪まつりは、6基の雪像で
  始まった。
 
↓建築中のテレビ塔
↓完成当時のテレビ塔(昭和32年)
↑中島公園に移転されるために解体
  されてる豊平館
昭和46年
・札幌市役所新庁舎が完成した
 地上19階建ては当時札幌一の高層ビル

・地下鉄南北線が開通(北24条〜真駒内間)
 これにともない、地下街が完成した。
←現在の札幌駅南口
  札幌駅は北口が正面になり
  南側には商業施設が建ち
  札幌駅は見えなくなった。