中 島 公 園
中島公園にある施設
中島児童会館
地名の由来

定山渓より下ってきた豊平川は、藻岩山の脇あたりから広大な扇状地をつくり、札幌はその扇状地に
築かれました。豊平川の分流のひとつ鴨々川の2つの流れにはさまれた土地であるため「中島」と
地名がつきました。参考ですが豊平川の対岸にある「中ノ島」も同じ事情で地名がつきました。



中島公園の誕生

明治7年に鴨々川に水門を設け貯木場がつくられました。豊平川上流で伐採した木材をここに蓄えて
大友堀(創成川)のほとりにあった製材所に流していました。
明治15年ころより貯木場は、だんだん使われなくなり、そこを公園にしたいという市民の要望が起こり
明治20年から中島遊園地として整備が始まりました。貯木場が現在の菖蒲池になりました。

明治40年には、当時の日本を代表する造園の権威であった長岡安平を東京市より招き、整備計画を
依頼し基本設計を行いました。長岡氏は大通公園・円山公園も基本設計をしています。



中島公園の発展

中島公園は、昭和33年まで様々な博覧会の会場となり、その後も多くの施設等が作られました。
その中のいくつかは廃止あるいは移転となって今日に至ってます。
アメリカ軍の兵舎の払い下げを受け、昭和24年7月
に日本初の公立児童会館としてオープンした。

左側の写真は、最初の児童会館
右側の写真は、昭和60年に建て替えられた、現在の
          児童会館。
札幌市こども人形劇場こぐま座
日本では、プーク人形劇場に続く2番目で公立としては初めての
人形劇場です。昭和51年7月にオープンしました。
ちびっこ広場
こぐま座と児童会館に面している広場です。
遊具が置かれています。
菖蒲池
貯木場として利用された池。中に2つの島があります。
ボート乗り場があります。
明治29年頃からスケート場として利用されてました。
昭和27年に中島球場にスケートリンクが作られてから利用が
減り、現在は使われてません。
丘のひろば
芝生のあるひろば
自由ひろば
様々な野外催しを行うひろば
鴨々川あそび場
昭和50年に、子供が危険がないように遊べる川をつくりました。
鴨々川を流れを分けて、底を浅くし、水遊びができるようになって
ます。
豊平館 (国の重要文化財)
八窓庵 (国の重要文化財)
明治13年に完成した洋風旅館、
昭和33年に中島公園に移った。
江戸時代初めの茶人大名、小堀遠州が
近江国小室城に建てたと伝えられている
茶室であります。大正8年に札幌市北4条
西12丁目に移り、昭和46年に中島公園に
移動しました。
札幌市天文台
岡田山という小さな丘の上に建っています。
口径20cmの屈折式望遠鏡を備えてます。
道立文学館
札幌コンサートホール Kitara
平成9年7月に、北海道初の音楽専用ホールとしてオープンしました。
2008席の大ホールと453席の中ホールがあります。
公園最大の建築物であるにもかかわらず、建物の近くでは規模に見合った大きさを見せるのに
他の場所から見ると視界から消えます。
周囲に威圧感を与えない設計がされているため、丘と木の間に隠れているのです。

過去にあったが、廃止あるいは移転された施設
中島体育センター

昭和29年に北海道で開催される国民体育大会の会場とするため、公園東側に
札幌市立中島スポーツセンターがつくられた。

中島体育センターの建設とともに中島体育センター別館と呼ばれた。
昭和55年に中島体育センター本館が「別館」の西側に建てられた。

平成12年に北海道立体育センター「きたえーる」のオープンに伴い、閉鎖した。



冬のスポーツ博物館

昭和55年に旧NHK局舎にオープンした。スキーやスケートなどのスポーツ博物館。

平成12年に大倉山ジャンプ競技場に「札幌ウィンタースポーツミュージアム」として移転した。



中島球場

大正7年の開道五十年北海道博覧会の跡地に作られた野球場です、バックネットとベンチ
だけの球場であった。

昭和9年に札幌外苑球場(現、札幌円山球場)が開かれるまでは、札幌の中心的球場であった。

昭和24年に両翼94m中堅111m収容人数2万1千人の設備も充実した球場に作り直されたが、
プロ野球の利用は円山球場だけで、社会人と学生に利用されていた。
昭和27年から、冬季にスケート場として利用された。

昭和55年に廃止された。



中島プール

大正12年に、製氷用の池を一部、夏季にプールとして開放したのが始まり。

昭和4年に、側面をコンクリート壁にし全面をプールにした。縦140m横23mで日本一広かった。
しかし、川の水をそのまま引き入れた池のような状態で、水が濁ったり藻が発生したりした。

昭和44年に、50m×21mのプールが建設された。

平成8年に、市営や民間のプールが増えたため、利用者が減り、閉鎖された。



子供の国

昭和33年の北海道博覧会で子供の国が作られ、博覧会終了後に札幌振興公社が運営を
引継いだ。平成6年5月に閉鎖し円山動物園内に移転した。跡地に「キタラ」が建設された。
36年間で約1200万人が利用した。



NHK札幌放送局

昭和3年にNHK札幌放送局が設けられた、テレビ塔建設とテレビ放送開始に伴い、
テレビ塔の北に移転した。



百花園

昭和34年に、1200株の薔薇を植えて開園した、平成7年からの整備で廃止され広場になった。



中島競馬場

明治20年に造られ、明治40年に廃止となった。