その46
         「曙グランド」の巻(1992. 4.bP)   

 昭和の一ケタ時代、私が当時の「一中」(現南高)へ通学していた頃にはこの「曙グランド」
は存在していた。
 そうして住処を尋ねられると、「山鼻の曙グランドのすぐ傍です」。と、答える人も居たので、
「曙グランド」は地名ではなかったにしても、それに近い響を持っていた様に思われる。
 その頃の「曙グランド」は、唯、地均しをしただけの「原ッパ」という風情で、グランドらしい設
備は何も無く、小さな共同便所が片隅にポツンと建っているだけだった。
 そうして、附近に住んでいた学友が「あそこは墓場の跡で、あのグランドで遊ぶと、よく転ん
で怪我をしたり、骨を折ったりするし、夜には〈ヒト
ダマ〉が飛ぶんだ」。と、云っていたのを憶えてい
る。
 其所が墓地跡だという話を、私は素直に納得し
ていた。 それには私なりに次の様な話を聞かされていたからだった。
               ◇
 私の家の裏には「富樫の婆さん」が住んでいた。
両親の話ではそろそろ90歳と云っていたが、この
婆さん極めて矍鑠としていて、桜ンボや葡萄を盗み
に行ってはよく怒鳴られたものだが、それでも割合
に可愛がられていたほうで、しばしば昔語りを聞か
されたものだった。
1.富樫という苗字のとおり、私の先祖はあの「勧
進帳」で有名な「富樫左衛門」だ。(これは何の事
か良くわからなかったが、母から義経の都落ちの
説明を聞いて、ようやく納得がいった)
2.「薄野」にはよく「ワラビ」取りに出掛けたものだ
が、その頃の「薄野」は「ススキ」だらけの荒地だっ
た。(これは、そうだったろうと納得できた)
3.「東本願寺」のあたりは鬱蒼たる森で、「御仕置
場」(刑場)もあって、昼でも気味の悪いところだっ
た。(これも納得できた)
 この婆さんから聞かされた昔語りが耳に残ってい
たので、「東本願寺」の裏手の方に(南側の方角)、
つまり「曙グランド」あたりに、刑死した罪人を葬る
「墓地」があっても不思議は無いと思っていたからだ。
               ◇
 さて、富樫の婆さんのことだが、トウに亡くなった
旦那は「開拓使」の大工だったという。そうして婆さんと私の年齢差は80歳はあった筈だ。
これから逆算すると、婆さんの昔語りはどうしても明治一ケタ時代の事であり、その頃の
「思い出話し」としては、極めて信憑性のあるものと、今でも考えている事は事実だ。だか
ら後代の人間が無理にコジ付けた地名などには、私として素直に納得できないことが多い
のも、また仕方の無いことなのだ。
               ◇
 「薄野」はここに「遊廓」を建設することにした時の工事監事の「薄井竜之」の姓に因んだ
ものだとか、この辺一帯は「茅野」だったが「茅」は「ススキ」の事だから「ススキ野」に替っ
たとか、いろいろ説もあるが、婆さんが言っていた、「ススキだらけの、ワラビの生える野っ
原だった」という説が1番うなづけるのではないだろうか。
 「曙」の由来は私にはわからないが、東本願寺以南は柏の樹林地帯で、ススキも生えて
いないので「明篠」と呼んだ。これがいつしか「暁野」となり、大正15年(私が生まれた次の
年で、昭和元年でもある)にここにあった墓地を南山鼻に移転するに際して「暁野」を「曙」
に替えたとされている。
 そこで、ここにあったという墓地のことだが、明治4年に出来た札幌で最初の「公共墓地」
だったという。
 そうだったとすれば、婆さんが言っていた話と誠に符合してくるのだ。
 婆さんは云う。「本願寺」のあたりはうっそうたる樹林だった。
 記録には、「柏の樹林地帯だった」。と、されている。
 婆さんは云う。「御仕置場があった」。
 記録には「明治4年の春、札幌初の公共墓地を設ける。」と、あって「御仕置場」のことは
何もでてこない。
 しかし私は「御仕置場」があった事を信じているのだ。というのも罪人の骸らを葬った場所
は近くに必ずあった筈だし、当時は札幌の場末だった其所が、第1号の「公共墓地」となっ
たとしても何の不思議もないからだ。
                     ◇
 ともあれ、私の家内は山鼻育ちで、「山鼻小学校」に通っていたという。運動会の本番は
旧一中のグランドだった、練習はいつも「曙グランド」だったそうで、小学校の東側の仲通り
を真直に北に行くと「曙グランド」にぶつかったと云う。そうして幼な心には随分広いグランド
に感じたが、片隅には「共同便所」があったことを覚えているし、友人からは夜になると「ユ
ーレイ」が出ると驚かされたことも記憶しているという。
 と、すれば、「曙グランド」は終戦直後までは、そのまま残っていたものらしい。
 今、この場処には「曙小学校」が建っている。
 この小学校は札幌におけるRC校舎の第1号との話も聞いているが、詳しいことは市役所
OBそれも60歳を越えた人ならば良くご存知だと思われる。