その42
         「鉄 北」の巻(3)(1990.12.bR)

  〈中島〉72歳の女性
 私は「園生橋」を渡ってすぐの所で生れ育ちましたが、住処は、と聞かれると〈中島〉です
と答えていました。
 「園生橋」を知っていますか。いまでもありますよ。西3丁目通りを南進して南8条で「鴨々
川」を渡りますが、此所にかかっているのが「園生橋」です。
 小学校は「豊水」でしたが、この橋のすぐ東側で今でもの旧の場処に建っています。札幌
では最も古い小学校の一つですが、その昔「小学生野球大会」では全道的な名門校だった
のです。
 女学校は「市立」に通いましたが、現在のパークホテルの敷地が、そのまま学校の敷地だ
ったのです。広い校庭にはメム(湧水)が池になっている窪地もありました。
 この女学校には次の様な歴史があります。
・札幌区立女子職業学校として出発。
・札幌市立高等女学校となる。
・道立札幌東高等学校(学制改革で移転)として再出発。
・札幌市立中島中学校が旧「市立高女」の校舎をそのまま使って出発。
・ホテル「三愛」が新築される。(中島中は旧道庁官舎跡に移転)
・「パークホテル」として現在にいたる。
 したがって母校を偲ばせるものは何も残っておりませんが、私が女学生時代の冬に東側の
校舎が火事になり、そとへ飛び出して、皆で泣きながらを雪玉をぶつけたことだけが悲しい思
い出として残っています。
 そういえば、西3丁目通りを「チンチン電車」が走っていたことを憶えていますか。この路線は
大正7年に開道50周年を記念して、中島に大博覧会場が設けられ、地方から来るお客さんを
さばくために、札幌停車場から中島公園間に布設され、「停公線」と言って市電のなかでは一
番古いコースだったのだそうです。駅前から南4条で左折し「松竹座」(現グリーンホテル)の
ところで右折しました。1丁進むと左手に「宝栄座」(現在オークラビル)がありました。「中央寺」
は昔のままですが、お寺を通り過ぎ、「園生橋」を渡って、「市立高女」の東側を走り、今でも残
っている入口の石門のところが終点でした。
 終点の左手には「中島温泉」というのがありましたが、今のレジャーセンターのだったのでは
ないでしょうか。そうしてこの道を更に南に進むと、右手に「冬のスポーツ博物館」があります
が、あの四角な建物が「JOIK」だったのです。
 遊園地の西側には「招魂社」(現在護国神社)があって、戦前には「ノモンハン」で分捕った
ロシヤの装甲車とかが、雨ざらしで置いてありましたが、あれは今どうなっているのでしょうか
ね。

 〈苗穂〉67歳の男性
 〈苗穂〉のことならまかせてください。何しろ生れも育ちも〈苗穂〉ですから。
  しかし、一番気にくわないのは、〈東苗穂〉という町名があるのに、我々が住んでいる場処
が今では〈本町〉という名称になっていることです。此所が〈苗穂〉と言われた本来の場処だと
いうので〈本町〉としたのだそうですが、私に言わせると、いらないお世話です。
 それはさておき、〈苗穂〉とは札幌の東に隣接した旧〈札幌村〉の一部分だったのです。
 〈札幌村〉はだだっ広いので次の様な地域に分割されていました。
・苗穂(東苗穂を含む)
・元村(現元町で、明治維新の前に、大友亀太郎が開拓を始めたので北海道における元祖の
 村ということらしい)
・烈々布(現在の栄町一帯。神社にだけその名前が残っているのは情けない)
・丘珠(現飛行場一帯)
・三角(これを覚えている人は少ないと思うが、札苗小学校のあたり)
・伏古(開成高校の裏手一帯)
・中沼・雁木・福移(奥の奥で、ろくに人も住んでいない所)
 そうして、この奥は〈篠路〉でした。
 今、「光星地区」と呼ばれているあたりは、〈元村〉の西のはずれで、このあたりから玉葱畠が
始まりました。
 立派な石造の玉葱倉庫のある村川さんというお屋敷もありましたが、このお屋敷は陸軍特別
大演習があった、昭和11年に建てたものだそうで、その跡は「公団住宅」や「保健所」になって
しまいました。
 また、丁度その頃「光星」が、たしか、ドイツ系のミッションスクールとして開校しましたが、開校
当時は畠のド真中に、トンガッタ時計塔のある校舎がポツンと建っている風情でした。また光星
の北には「北海高女」がありましたが、これは本願寺系の女学校で歴史は光星よりはずっと古い
ものです。校舎は新しくなりましたが同じ場処で今では「大谷学園」となっていますが、いづれに
しろ、この両校にかよう生徒さん達は冬が大変だったと思います。何しろ日本海から吹きつける
吹雪が、さえぎるものも無くモロにぶつかってきたのですから。
 また、〈美香保〉と言っている地域がありますが、あれも新しい名称です。
 昭和の初期、あのあたりの地主だった、宮村・柏野・大塚という3人の地主さん達が土地を出し
合って公園を作ることになり、3人の苗字の頭文字をとって、〈みかお公園〉と名付けたのがそも
そもの始まりですが、私の知っている初期の姿は、デントコーンを刈りとった跡に、忽然とダダッ
広い「グランド」がある程度で、訪れる人もない実に殺風景なものでした。
 どうして、こんな辺鄙な場所に、こんなものをと不思議に思っていたのですが、今ではどうです、
体育館が建つわ、球場やテニスコートができるわ、公園も市に移換され手を加えられて東区で
は1番立派な大公園となってしまいました。「今昔の感に耐えない」というのはこの事でしょう。
 とにかく〈苗穂〉といえば、「ビール会社」・「国鉄工機部」・「雪印工場」・「福山醸造」・「フルヤ
のキャラメル」、そうして「刑務所」と、いろいろと話のタネは尽きないのです。