その32
          「南斜面」の巻(1987. 9.bQ)        

 「南斜面」は昭和20年代の前半までは小学生達のスキーの「メッカ」だっ
た。
 「南斜面」がある以上「北斜面」もあったのだが、不思議に「東斜面」・
「西斜面」という名称には記憶が無い。そうして「南斜面」と「北斜面」は一
定の場処をさす固有名詞ではなく、何ヶ処かにつけられた不特定な名称だった
が、これから述べる「南斜面」は最もポピュラーな「南斜面」のことだと承知
していただかなければならない。
               ◆
 札幌の西部には藻岩山・円山・三角山等の低い山並が迫っている。迫ってい
る部分が急斜面であり、樹木が多ければ勿論スキーには不向きだ。しかし緩勾
配でブッシュが少なければ、できれば
夏は畠にしているか、牧草地になって
いるようなスロープであれば、ここは
絶好のスラロームになるのだ。
 山鼻小学校を卒業した家内は「進藤
牧場」で良く辷って遊んだものだとい
うが、とうの昔に札幌市水道局の貯水
池と化して立入禁止となってしまって
いる。
 また、「ゲンチャンスロープ」は「旭
山公園」と化し「拓銀スロープ」あた
りは屋並が建混んで昔日の面影はさら
にない。
 「なまこ山」と「寺口山」は中腹を
広道が貫通して自動車の往来激しく、
山そのものの所在さえ不明確になって
しまった。
 かろうじて「荒井山」だけは余命を
保っている現在だが、一杯5銭の「か
けそば」を売っていた休憩所はどこら
あたりだったのか・・・・。
        ◆
 さて「南斜面」だが、旭山公園と円
山の中間は山並が一寸途切れて細い渓
谷とまではいかない沢が奥へ伸びて、
これに添った一条の山径が続いていた
が「双子山」から円山のは広闊な斜面
となっていた。だから此所が一般には
「南斜面」と呼びならされ、「双子山」は上級生むきだったが、小学生達は自分
の練度に合はせた場処で辷れば良いだけで、とにかく十分過ぎる程広い斜面だっ
た。
 下の方には「養狐場」もあって、かなりの敷地だったが、これが邪魔になる様
なことは無かった。しかし邪魔なものが唯一つ、「タランボ」のブッシュだった。
「タランボ」が大木になるものかどうかは知らないが、雪の上に出ている部分は
せいぜい2米どまりで、ところどころに群生しているヶ処があって、足が疲れ果
てて、これに飛びこんだりしたら、するどい「とげ」で大怪我をした筈だ。しか
しこのブッシュをさけられる様なシュプールがいつしかついていて、このシュプ
ールに乗ってさえいれば、何となくこの難所を通り抜けられるようにもなってい
た。
 昔は見向きもされなかった「タランボの芽」は今や「タラの芽」などと上品に
呼ばれ、早春の高価な山菜となって、1番芽、2番芽と、数回にわたり若芽は摘
みとられた結果、すっかり枯死してしまったものか、札幌近郊で「タランボ」を
見受けることは殆んどなくなってしまった。
               ◆
「南斜面」、「双子山」を卒業すると「ゲンチャンスロープ」になるが、そこで
はベテラン連中が、〈ステンボーゲン〉や〈クリスチャニヤー〉をやっていた。
この技法すら今や古語となってしまい、彼等の〈カンダハー〉を、皮のビンディ
ングの我々は羨望の眼で見守っていた時代は、それ程遠い昔とは思へないが、
「双子山」には高層マンションが建ち、「南斜面」一帯にはりついた双子山町の
住宅地を眺めるにつけ、「十年一昔」の感を今更のように深くするのである。